セナ最期のマシンウィリアムズ・ルノー FW16 

アイルトン・セナウィリアムズへの移籍
1994年には念願である当時最強のウィリアムズ・ルノーへの移籍を果たしたが、シーズン第1戦ブラジルGP、第2戦パシフィックGPはともにポールポジションを獲得するも、両レースともらしからぬアクシデントによりリタイアに終わる。34歳というベテランの域に達し、ライバル達が現役を去った事によるモティベーションの低下、アクティブサスペンションなどのハイテク技術が禁止されたことにより、この年のウィリアムズのマシンFW16が非常に不安定な挙動(ベネトンB194は1993年12月に完成、それに対しFW16は開幕一ヶ月前に完成。十分なテストができないまま、開幕戦を迎えた)を見せていた事、マクラーレンとウィリアムズでは車作りのやり方や、セナに対するチーム側の対応が異なり、その差にフラストレーションを抱えていた事などが指摘されている。




最期のマシンウィリアムズ・ルノー FW16 

突然の最期・事故死
1994年5月1日にイタリア・イモラ・サーキットで開催された第3戦サンマリノGPも第1戦、第2戦同様ポールポジションからスタートしたが、開幕2連勝で波に乗るミハエル・シューマッハの猛追(後から判明したことだが、この年のベネトンB194には規則違反のトラクション・コントロール・システムが搭載されていた)を受ける中、7周目の超高速・左コーナー「タンブレロ」において、時速310kmで首位を走行中のセナのFW16が突如コントロールを失い、そのまま直進する形でコースアウトしてコースすぐ右脇のコンクリート製ウォールに激突(セナのFW16は激突寸前、時速210kmまで急減速していた)、FW16は大破。セナ本人はすぐにコースマーシャルによってFW16のコクピットから救出され(実際には事故直後の凄惨な光景にマーシャル達は現場で立ち尽くしていた)、蘇生処置を施されつつヘリコプターでイタリア・ボローニャ市内のマジョーレ病院に搬送されるも、頭蓋骨の複雑骨折により、脳死状態に陥り、事故発生から約4時間後に死亡した。
posted by フォームュラン at 10:29 | セナ・ヒストリー

アイルトン・セナ

アイルトン・セナ(1960年3月21日 - 1994年5月1日)は、ブラジル人のレーシング・ドライバーである。生涯で3度のF1ワールド・チャンピオンを獲得した。日本では、古舘伊知郎が実況時に使用した「音速の貴公子」が通称として有名。1994年5月1日にイタリア・イモラ・サーキットで突然の事故死。





アイルトン・セナ
F1での経歴
国籍 ブラジル
活動年数 1984 - 1994
所属チーム トールマン, ロータス,
マクラーレン, ウィリアムズ
出走回数 161
タイトル 3(1988,1990,1991)
優勝回数 41
通算獲得ポイント 614
表彰台(3位以内)回数 80
ポールポジション 65
ファステストラップ 19
F1デビュー戦 1984年 ブラジルGP
初勝利 1985年 ポルトガルGP
最終勝利 1993年 オーストラリアGP
最終戦 1994年 サンマリノGP

posted by フォームュラン at 10:11 | 伝説の人物

フェラーリ

スクーデリア・フェラーリは、イタリアの自動車メーカー、フェラーリによるF1チームである。現在はメインスポンサーであるタバコブランド「マールボロ」の名を冠し、「スクーデリア・フェラーリ・マールボロ」が正式名称となっている。

なお、イタリア語の「Scuderia」は英語での「Team」に当たる言葉である。




フェラーリ エントリー名 Scuderia Ferrari Marlboro
チーム国籍 イタリア
チーム本拠地 イタリア・マラネロ
チーム代表者 ジャン・トッド
テクニカルディレクター ロス・ブラウン
ドライバー 5. ミハエル・シューマッハ
6. フェリペ・マッサ
テストドライバー ルカ・バドエル
マルク・ジェネ
シャシー フェラーリ248 F1
エンジン フェラーリ056
タイヤ ブリヂストン
参戦年度 1950 -
出走回数 741
コンストラクターズタイトル 14 (1961, 1964, 1975,
1976, 1977, 1979, 1982,
1983, 1999, 2000, 2001,
2002, 2003, 2004)
ドライバーズタイトル 14 (1952, 1953, 1956,
1958, 1961, 1964, 1975,
1977, 1979, 2000, 2001,
2002, 2003, 2004)
優勝回数 192
通算獲得ポイント 3601.5
表彰台(3位以内)回数 581
ポールポジション 186
ファステストラップ 193
F1デビュー戦 1950年モナコGP
初勝利 1951年イギリスGP
2006年順位 2位 (201ポイント)
(記録は2006年第18戦終了時)







posted by フォームュラン at 00:32 | チーム

ミハエル・シューマッハ

ミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher, 1969年1月3日 ドイツ生まれ )
日本では、主にフジテレビの地上波F1中継で赤い皇帝とよばれる史上最強のF1ドライバーである。
F1界の記録を更新し続ける彼は、ファン・マヌエル・ファンジオ、ジム・クラーク、ジャッキー・スチュワート、ニキ・ラウダ、アラン・プロスト、アイルトン・セナらとともにF1史上に残るドライバーと言われている。

ドイツ人初のF1チャンピオンであり、2006年現在までのところドイツ人ドライバー唯一のF1チャンピオンでもある。

主な記録
チャンピオン獲得回数 歴代1位 - ファン・マヌエル・ファンジオが持っていた通算5回の記録を上回る6回目のタイトルを2003年に獲得(通算7回)

チャンピオン連続獲得回数 歴代1位 - ファン・マヌエル・ファンジオが持っていた連続4回の記録を上回る連続5回のタイトルを2000-2004年に獲得

優勝回数 歴代1位 - アラン・プロストが持っていた通算51勝の記録を上回る52勝目を2001年第14戦ベルギーGPで記録(通算91勝)

ファステストラップ回数 歴代1位 - アラン・プロストが持っていた通算41回の記録を上回る42回目を2001年開幕戦オーストラリアGPで記録(通算75回)
ポールポジション回数 歴代1位 - アイルトン・セナが持っていた通算65回の記録を上回る66回目を2006年第4戦サンマリノGPで記録(通算68回)
※ 各記録の通算回数は2006年中国GP終了時






ミハエル・シューマッハ F1での経歴
国籍 ドイツ
車番 5
所属チーム フェラーリ
活動年数 1991 -
過去の所属チーム ジョーダン, ベネトン
出走回数 249
タイトル 7 (1994,1995,2000,2001,
2002,2003,2004)
優勝回数 91
通算獲得ポイント 1,364
表彰台(3位以内)回数 154
ポールポジション 68
ファステストラップ 75
F1デビュー戦 1991年ベルギーGP
初勝利 1992年ベルギーGP
2006年順位 2位 (116ポイント)
(記録は2006年第17戦終了時)

2006年9月10日、イタリアGPレース終了後の記者会見にて、2006年限りでの引退を表明した。


posted by フォームュラン at 00:18 | 人物

マイルドセブン・ルノー

ルノーF1(Renault F1 Team)は、1977年から1985年及び2002年以降にF1に参戦しているレーシングチーム。2006年現在の正式名称はマイルドセブン・ルノーF1チーム(MILD SEVEN Renault F1 Team)。





ルノー エントリー名 MILD SEVEN Renault F1 Team
チーム国籍 フランス
チーム本拠地 イギリスオックスフォード州エンストーン
チーム代表者 フラビオ・ブリアトーレ(マネージングディレクター)
アラン・ダサス(チーム代表)
テクニカルディレクター ボブ・ベル
ドライバー 1. フェルナンド・アロンソ
2. ジャンカルロ・フィジケラ
テストドライバー ヘイッキ・コヴァライネン
シャシー ルノーR26
エンジン ルノーRS26
タイヤ ミシュラン
参戦年度 1977 - 1985 , 2002 -
出走回数 210
コンストラクターズタイトル 2 (2005, 2006)
ドライバーズタイトル 2 (2005, 2006)
優勝回数 33
通算獲得ポイント 925
表彰台(3位以内)回数 85
ポールポジション 50
ファステストラップ 27
F1デビュー戦 1977年イギリスGP
初勝利 1979年フランスGP
2006年順位 1位 (206ポイント)
(記録は2006年第18戦終了時)
posted by フォームュラン at 09:28 | チーム

フェルナンド・アロンソ

フェルナンド・アロンソ・ディアス(Fernando Alonso Díaz, 1981年7月29日 - )は、スペインはオビエド出身のレーシングドライバー。現役のF1ドライバーで、2003年には22歳と25日、F1史上最年少のグランプリ勝者が誕生した。これはスペイン人ドライバーのF1初優勝でもあった。2005年、2006年のドライバーズ部門のチャンピオンである。2007年からマクラーレンに移籍することが発表されている。

アロンソはF1において数々の最年少記録を打ち立ててきた。以下に主なものを記す。

最年少完走 - 19歳217日(2001年第1戦オーストラリアGP)
最年少ポールポジション - 21歳236日(2003年第2戦マレーシアGP)
最年少レースリーダー - 21歳236日(2003年第2戦マレーシアGP)
最年少表彰台 - 21歳236日(2003年第2戦マレーシアGP)
最年少優勝 - 22歳25日(2003年第13戦ハンガリーGP)
最年少チャンピオン - 24歳58日(2005年第17戦ブラジルGP)





フェルナンド・アロンソ F1での経歴
国籍 スペイン
車番 1
所属チーム ルノー
活動年数 2001 , 2003 -
過去の所属チーム ミナルディ
出走回数 87
タイトル 1 (2005)
優勝回数 15
通算獲得ポイント 373
表彰台(3位以内)回数 36
ポールポジション 15
ファステストラップ 8
F1デビュー戦 2001年オーストラリアGP
初勝利 2003年ハンガリーGP
2006年順位 1位 (126ポイント)
(記録は2006年第17戦終了時)

posted by フォームュラン at 09:18 | 人物

マクラーレン

マクラーレン(McLaren)は、1963年にブルース・マクラーレンにより設立されたイギリスのレーシング・チームである。
レースチームの会社としての正式名称はマクラーレン・レーシングであり、マクラーレン・グループの一角を為す。
代表はマクラーレン・グループの会長であるロン・デニスが兼任している。





マクラーレンでドライバーズ・チャンピオンを獲得したドライバー
エマーソン・フィッティパルディ(1974)
ジェームス・ハント(1976)
ニキ・ラウダ(1984)
アラン・プロスト(1985 , 1986 , 1989)
アイルトン・セナ(1988 , 1990 , 1991)
ミカ・ハッキネン(1998 , 1999)


マクラーレン エントリー名 Team McLaren Mercedes
チーム国籍 イギリス
チーム本拠地 イギリスサリー州ウォーキング
チーム代表者 ロン・デニス
テクニカルディレクター
ドライバー 3. キミ・ライコネン
4. ファン・パブロ・モントーヤ
4.ペドロ・デ・ラ・ロサ
テストドライバー ゲイリー・パフェット
シャシー マクラーレンMP4-21
エンジン メルセデスFO108S
タイヤ ミシュラン
参戦年度 1966 -
出走回数 619
コンストラクターズタイトル 8 (1974, 1984, 1985, 1988,
1989, 1990, 1991, 1998)
ドライバーズタイトル 11 (1974, 1976, 1984,
1985, 1986, 1988, 1989,
1990, 1991, 1998, 1999)
優勝回数 148
通算獲得ポイント 3141.5
表彰台(3位以内)回数 389
ポールポジション 125
ファステストラップ 129
F1デビュー戦 1966年モナコGP
初勝利 1968年ベルギーGP
2006年順位 3位 (110ポイント)
(記録は2006年第18戦終了時)
posted by フォームュラン at 10:43 | チーム

キミ・ライコネン

キミ・マティアス・ライコネン(Kimi Matias Räikkönen, 1979年10月17日 生まれ )は、フィンランド出身のF1ドライバー。ニックネームは北欧出身で常にクールな所からアイスマン。2001年オーストラリアGPでザウバーからF1デビュー。開幕戦でいきなり6位入賞で周囲の批判を驚きに変え、その後正式にスーパーライセンスが発給された。

この実力を買われて翌2002年から、同郷のF1ドライバーミカ・ハッキネンの後任として名門マクラーレン・メルセデスの正ドライバーとなり、初戦のオーストラリアGPでいきなり3位に入賞して初表彰台を獲得した。2003年には第2戦のマレーシアGPで初優勝を飾り、強敵ミハエル・シューマッハと対等に渡り合ってこの年はドライバーズポイントランキングで堂々の2位につけた。

2004年シーズンは不運なエンジントラブルに多く見舞われ、9戦を消化した時点で僅か8ポイントの11位に留まるも、第8戦のカナダGPでの5位や次戦のアメリカGPでの6位など復調の兆しを見せた。そしてマクラーレン・メルセデスが新車MP4-19Bを投入してから2戦目のイギリスGP予選で2004年シーズン初のポールポジションを獲得、決勝レースでも2位を獲得し、同年初の表彰台となった。その後ベルギーGPでシーズン初優勝を飾る。

2005年シーズンは開幕当初はマクラーレンの新車の信頼性不足によりやや出遅れるも、ヨーロッパラウンドに入るや、第4戦サンマリノGPから3戦連続ポールポジション、第5戦スペインGP以降シーズン7回のレースで優勝を飾るなど、ルノーのフェルナンド・アロンソと激しいチャンピオン争いを繰り広げていたが、惜しくもアロンソに及ばなかった。






キミ・ライコネン F1での経歴
国籍 フィンランド
車番 3
所属チーム マクラーレン
活動年数 2001 -
過去の所属チーム ザウバー
出走回数 105
タイトル 0
優勝回数 9
通算獲得ポイント 346
表彰台(3位以内)回数 36
ポールポジション 11
ファステストラップ 19
F1デビュー戦 2001年オーストラリアGP
初勝利 2003年マレーシアGP
2006年順位 5位 (65ポイント)
(記録は2006年第18戦終了時)

2006年イタリアGP終了後に、2007年から2009年までフェラーリと契約した事が発表された。
posted by フォームュラン at 09:59 | 人物

ホンダ

ホンダ・レーシング・F1チーム(Honda Racing F1 Team)は、2006年シーズンからはB・A・Rの株式を100%取得し、38年ぶりに純ホンダワークスチームとして、バトンと、フェラーリから移籍のルーベンス・バリチェロのラインアップで参戦することになった。

2006年シーズンの正式名称はラッキーストライク・ホンダ・レーシング・F1チーム(Lucky Strike Honda Racing F1 Team)

また、鈴木亜久里による新規参入チーム「スーパーアグリF1チーム」にエンジンを供給し、ギアボックス等の開発にあたって技術支援も行っている。

同年の第13戦目ハンガリーGPでジェンソン・バトンが14位スタートながら波乱のレースを制して、見事優勝し第3期参戦として初勝利を果たした。オールホンダとしては39年ぶりの優勝。





ホンダ エントリー名 Lucky Strike Honda Racing F1 Team
チーム国籍 日本
チーム本拠地 英国ノーサンプトン州ブラックレー
チーム代表者 ニック・フライ
テクニカルディレクター 中本修平
ドライバー 11. ルーベンス・バリチェロ
12. ジェンソン・バトン
テストドライバー 36. アンソニー・デビッドソン
シャシー ホンダRA106
エンジン ホンダRA806E
タイヤ ミシュラン
参戦年度 1964 - 1968 , 2006
出走回数 53
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 3
通算獲得ポイント 134
表彰台(3位以内)回数 8
ポールポジション 2
ファステストラップ 2
F1デビュー戦 1964年ドイツGP
初勝利 1965年メキシコGP
2006年順位 4位 (86ポイント) 
(記録は2006年第18戦終了時)


posted by フォームュラン at 13:40 | チーム

ジェイソン・バトン

ジェンソン・アレクサンダー・ライオンズ・バトン(Jenson Alexander Lyons Button, 1980年1月19日生まれ)は、イギリス人現役のF1ドライバーである。

エースとして迎えた2004年シーズン、高い戦闘力をもつマシン(B.A.R Honda 006)を駆ったジェンソンは、第2戦マレーシアGPで3位となり初めて表彰台に上る。これをきっかけに、ウィリアムズやマクラーレンの不振にも乗じて表彰台には計10度上った。また第4戦サンマリノGPでは初のポールポジションも獲得。B・A・Rのコンストラクター・ランキング2位躍進に大きく貢献したもののフェラーリの壁は厚く、またチーム戦略の拙さもあり、初優勝にはあと一歩手が届かなかった。

2004年シーズン中、ジェンソンにはウィリアムズへの移籍騒動が勃発したが、契約承認委員会(CRB)の裁定により、2005年はB・A・Rに残留した。シーズン前半戦には、サンマリノGPでの重量規定違反による失格とその後2戦の出場停止でまさかのノーポイントが続いていたが、第10戦フランスGPからは残り10戦全てでポイント獲得を果たした。

2006年については、ウィリアムズ側は、バトンは契約により移籍すべきであると主張し、マスコミなども移籍濃厚と見ていたが、推定3000万ドル(約33億円)という違約金を、チームから前借り(ホンダは「出世払い」と表現したが)した上で自ら支払いチーム残留が決定した。





ジェンソン・バトン
F1での経歴
国籍 イギリス
イングランド
車番 12
所属チーム ホンダ
活動年数 2000 -
過去の所属チーム ウィリアムズ,
ベネトン, ルノー,
B・A・R
出走回数 118
タイトル 0
優勝回数 1
通算獲得ポイント 223
表彰台(3位以内)回数 15
ポールポジション 3
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2000年オーストラリアGP
初勝利 2006年ハンガリーGP
2006年順位 6位 (56ポイント)
(記録は2006年第18戦終了時)
posted by フォームュラン at 12:30 | 人物

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